以前の私は、仕事において障害を理由にできない理由を並べ立てていました。
なのでずっと特定の仕事はできないままでした。
生活保護の時に障害であることを盾にしていたら、他の人は指摘も何もできなくなると気が付き、それから障害者であることは明かしつつも障害を理由に仕事ができないといわなくなりました。
今では税理士事務所の事務の仕事を任せていただけるまでになり、仕事の範囲は広いです。
それに他の人は気軽に指摘してくださるので、直ぐに修正ができます。
今回は障害者である以前に、人として大切な仕事の向き合い方を考えます。
◯「〇〇だからできないんです」では発展性がない
よく障害者雇用で
配慮事項
と聞きますが、私は果たしてそれがとても重要かと疑問に思います。
もちろん配慮事項がなくてはならないことは事実の方もいますが、程度の重い配慮事項になると、仕事の遂行上職務遂行の障壁となってします。
障害が障害を作り出すのです。
私がよく思うのは、配慮事項にセットで対応策も必要だと思います。
私の場合、複数のタスクをこなすことは困難です。
そこで受け付ける仕事は1つだけにするようにしています。
場合によってはメモ書きをして優先順位を確認し、1つ1つこなします。
また別の問題で聴覚が過敏という問題もあります。
これは時にノイズキャンセリングイヤホンで対処させていただくようにしています。
頭痛もありますが、服薬の時間と効果が現れるまで休憩をいただくようにしています。
このように対処をすることでできないことを減らしていきます。
もしこれを
「マルチタスクはできないので仕事を変えてほしい」
と言ってしまうと、そういう部署へ異動になりますが、仕事が身につきません。
「できない」ではなく「未経験」「不慣れ」など置き換え、支援を受ければできることを伝えればできることも増えると思います。
◯教えを請うとき、プライドや羞恥心は一切捨てる
人は年齢を重ねるほどプライドが高くなりがち、羞恥心は大きくなりがちです。
ともいう私もそうです。
ただそういったプライドや羞恥心は生活保護生活で叩き壊されたので、今はそういった感情はほとんど湧きません。
教えを請うとき、それは非常に自分は無防備な状態になるので、
「こんな事も知らないの?」
「今までこれでよくやってこられたよね」
と罵声を浴びせられることもありますし、年下に教えを請うときお互い気まずい雰囲気にもなりがちです。
そこでプライドや羞恥心を捨てることをおすすめします。
どうやって捨てるのか?難しいですよね?
それは状況と感情を切り分けて考えることです。
例えばエクセルのVLOOKUPを教えてもらう時、それが状況。
ここで知らないことを恥ずかしいと思うこと、これが羞恥心。
有能でありたいと思うプライド。
そういった感情は一切切り分けます。
感情が動いても、
「いまそう思っただけ」
と感じるだけにして、後で盛大に恥ずかしがったり悔しがったりすればいいんです。
それをバネに覚えたり勉強したりすればそれでいいです。
人は自分を守りたいもの、その代表的な感情が羞恥心とプライドです。
過度に自分を守ることは、私は益はないと思います。
不必要なプライドや羞恥心は可燃ごみの日にポイです。
◯体調管理は超重要事項、生活リズムを整えるために尽力する
障害者にとって体調管理は超重要事項です。
心身的にストレスに弱い方が多いので、生活リズムを整えることは超がつくほど重要です。
私も体調を崩しがちで、時折頭痛が現れます。
しかしここ最近は頭痛も痛み止めを飲むほどの痛みは月に1回ほどです。
なぜかといえば生活リズムを守っているからです。
特に睡眠時間は多めに取っています。
子どもがいるので細切れにはなりますが、それでも合算して1日7~8時間くらいの睡眠時間となるようにしてます。
テレビはほとんど見ませんし、ネットも夜にはパソコンを落とします。
スマホもできるだけ見ないようにしています。
そうして、子どもを寝かしつけた9時以降頃から夕食や家事をして日付が変わる前には寝るようにしています。
こんな生活になってから頭痛は減り、慢性的な体の怠さや薬による眠さも緩和されました。
◯今後も私は障害を盾にはしない、その方が楽だから
職場にはもう一人、障害を持った方がいます。
その方も障害をオープンにされているのですが、仕事においては障害を理由に
「できない」
の一点張りで、できる仕事の範囲を狭めています。
私もそう見られているのかな?と思うときもありますが、私から障害があるから
「できない」
とは言ったことがないので、仕事の範囲はそれなりです。
私の職種は一般雇用なので、同一賃金で仕事内容に格差が生まれると、どうしても軋轢を生むと思います。
私はその軋轢には耐えられないと思うので、障害を盾にはしたくないです。
障害を持っていてもできることは多くありますし、自分を活かしてできることを見つけることも楽しいです。
以前看護の実習で筋ジストロフィー症患者のサナトリウムを訪れた時、痰を出すことも困難な方が僅かに動く手を使ってTシャツをデザインし、それが年間数千万円売り上げていると聞き、自分の能力の限界を決めるのは自分次第だと感じました。
私は一度、社会から脱落しました。
全てを失い、未経験のことから会計のことを始めてようやく入口を抜けたあたりです。
税理士先生も
「Siriさん会計に向いているから続けな!」
と仰ってくださっているので期待に答えたいです。
終わり!
コメント
コメント一覧 (2件)
おはようございます。
仕事に限らず障害を盾に取って何をしてもいいと思っている人多いですね。
私が最後に通っていたB型作業所がそうでした。
詐病で精神障害1級を取って生活保護と障害年金を受給してパチンコをし、それでお金がなくなると他の利用者から借りて、それをまたパチンコで使う、なんて奴がいました。
また明らかに精神障害1級で、知的障害が入っていそうで、作業所を私物化している奴もいました。
こういうのって困りますよね。
だから障害者はダメなんだと言われるんです。
障害をお持ちかもしれませんが、それが起因で生活を破綻にしているのであれば、回りの支援が必要でしょうね。
本人が障害を盾にしてしまうと、「障害だからね」と終わりになってしまうことが多い場面がありますので、もっと根本的なものまで遡る必要はありそうですね。