ずっと見たかったNetflixの「ハーフ・オブ・イット、面白いのはこれから」を観ました。
ゲイ(レズビアン)、移民、スクールカースト、保守的な田舎、様々な問題を内包した作品で配信当時は話題となっていました。
社会的弱者である主人公はとてもシンパシーを感じます。
というわけで映画のレビューを書きたいと思います。
多くの方に見ていただけたら嬉しいです。
ハーフ・オブ・イット あらすじ
アメリカの保守的な田舎で暮らすエリーはスクールカースト最下層で周囲からいじられながら暮らしています。
エリーは頭がよくクラスの宿題の代筆のアルバイトをしています。
代筆は教師も黙認、その能力を大学で開花させたいとエリーを誘いますが、父親のことが気になるエリーはその誘いを断ります。
ある日ラグビー部のポールがエリーに依頼をします。
それは宿題の代筆ではなくラブレターの代筆。
相手はエリーも気になっている学校1の美人エスター。
エリーの代筆したラブレターをエスターが読み返信が返ってくると、そこには文学作品からの抜粋と見抜かれエリーはエスターの知性に熱が入り、ラブレターの継続をポールに申し出ます。
保守的な田舎という牢獄
ヒロインであるエスターは美人で頭がよく自立心が強いです。
ですがそれを隠して暮らしています。
保守的な田舎では浮いた行動は目立ってしまい、いじめの対象となってしまいます。
相互監視の田舎では突出したものは邪魔となってしまいす。
主人公エリーはゲイであり頭が良い、移民であることからいじめの対象となってしまいます。
エリーは自分のことを学校の学生、先生、親からも隠し一人きり。
1人と1人が出会うことで親交深くなるのもうなずけます。
保守的な田舎では同調圧力が強すぎて革新的なものは排除されてしまいます。
自分をさらけ出すことは悪いことではない
エリー、ポール、エスター、それぞれの想いは受け入れられにくいものでもあります。
それを仕舞っておくのもいいですが、登場人物は自分を開放していきます。
特にゾクゾクしたのは、エリーとエスターが学校を卒業しそれぞれの道へ進み分かれる時。
画面にはまっすぐの道路の線、それに隔てられたエリーとエスター。
その線は絶対的な壁のように思えます。
決して交わることのない超えがたい壁。
その壁はエリーが隠しているゲイのことでもあるし、エスターが隠している芸術への想いでもあるし。
それをエリーが超える瞬間、世界が混じったような、壁が壊れたような。
だれ監督は!すごい!
と感動しました。
実はこの演出はこの映画の随所に現れ、それぞれの登場人物の壁の役割を果しています。
特にエリーはだれとも交わることのない暮らしをしています。
そのエリーが最後に壁を乗り越えることは、大人への一歩を歩むような、自分の生き方を肯定したような、そんな意志を感じました。
普段暮らす中で人との壁を感じることもありますし、人と壁を作ることもあります。
ですがそれが生き方として息苦しいこともあります。
あなたと私を隔たる境界線、それを飛び越える時、ものすごい変化が起こるかもしれないと思うと、目の前の壁を壊したくなります。
人は属性を持っていますが、その属性通り生きることが正しいわけではなく、その人なりの生き方が大切なのだと感じました。
私も明日から境界線を飛び越えよう!
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