就活をして感じるのは
「あなたの配慮事項はなんですか?」
とよく聞かれること。
私の場合、聴覚過敏からくる音の聞き分けができないことが起こるので音が大きい、複数ある状態ではメモやメールでの情報伝達、頭痛が現れたときは服薬のお時間をいただく、くらいです。
先日大きな会場で行われた合同面接会で面接を受けている時、隣の人が強い口調で
「私は障害的にマルチタスクが苦手で多くの情報をいただくと処理しきれないと診断を受けています!職業適性検査で単純業務や清掃作業は不向きとでていますので避けていただきたいです!それから…」
とめどなく配慮事項らしきものを話していました。
正直
「それは配慮事項ではないのでは」
というものも多く聞こえ心の中で唸ってしまいました。
障害を持っているから配慮されるべき!
と言う思想はどこかしら
「私は特別扱いされるべき!」
とギリギリの境界で隔たっています。
もちろん配慮事項は必要ですが、それは
障害者が健常者と同等レベルで対等に働ける配慮
であって
「健常者より優遇されるべきもの」
ではないはずです。
では私たち障害者はどのような配慮を表現したらいいのか、考えたいと思います。
◯配慮事項は杖のようなもの
立ちたくても立てない人にとって杖があれば立って歩くことが容易となります。
しかし立つ気がない人に杖を渡しても立つことはできません。
企業側としては立つ=労働意欲に欠ける人は雇いたくないはず。
配慮があれば健常者と同レベルで働けるアピールが必要と感じます。
営利企業である以上、生産性を重視するのは仕方ないです。
経営側に立って考えると収益に繋がらないことはしたくないはず。
残酷ですが資本主義社会に生きる以上、受け入れなければいけない事実です。
私は就労意欲を示しつつ配慮事項を伝えます。
もちろん働きたいから就活しているので、どうすれば健常者以上の働きができるか考えます。
労働者である以上、生産性を測られるのは仕方のないこと。
杖一本で健常者以上の生産性をアピールすることはつらいもの。
でもアピールしないと採用には繋がらないんですよね。
最近は健常者に擬態するようにしています。
仕事さえできれば障害は関係ないですからね。
◯障害は結局障害でしかない
障害を持っているということは基本的に仕事ができない=生産性がないと見られがちです。
一般で障害を隠して応募したところあっさり書類通過も多々あります。
面接で障害をあることを伝えるとお祈りも多々あります。
面接時にひしひし伝わる上から目線。
愚痴を言っても始まりません。
手持ちのカードで戦うだけです。
ところで障害ってなんでしょう?
自分にとって不便と感じなければ障害は障害ではないです。
デールカーネギー著「道は開ける」でも指がない男性が出てきて、不便な場面はないかと聞かれた時に
「針に糸を通すときくらいだよ」
と言います。
自分にとって不便な場面が出てきた時に障害は現れます。
私の場合は頭痛が現れた時、大きな音や複数の音がある環境、高負荷のストレスがかかっている時。
それさえなければ健常です。
障害は誰にとっての障害かといえば「他者から見た自分のラベリング」であって他者評価の基準でしかないように思います。
◯障害を武器にしない
特徴付としての障害はいいと思いますが、障害を武器に他人を害する人も散見されます。
「私は障害を持っているから配慮されるべき」
「障害があるからこそ周りは気を使うべき」
私はこういった意見にはNoです。
配慮とは「相互の協力があっての協力」であって「無遠慮な人への無償奉仕」ではないです。
配慮とはお互いの配慮があってこそ成り立つもの。
私はそう考えます。
私はプライドが高いかもしれませんが配慮を必要としません。
なので就活の面接で配慮事項を聞かれても少し困ります。
頭痛の現れた際に薬を飲む時間をもらうくらいです。
そもそも毎食後と睡眠前の薬さえ欠かさなければ問題ないのです。
◯就活で使える武器は障害ではなく経歴や能力
就活の面接で聞かれることは配慮事項が多いです。
しかし仕事において必要なものは経歴や能力です。
本当は面接では経歴や能力を聞かれたいのですが…
私は職務経歴書を資格や経歴、能力を手厚く書いています。
正解かどうかはわかりませんが。
仕事をする上で必要なのは知識や能力であって障害で仕事はしません。
企業側も労働力を提供する側も必要な「できること」が重要なのに~と思います。
◯で、私の就活事情は?
先日、税理士事務所の内定をいただきました。
やはりそこでも重要となったことは「私にできること」「所持資格」でした。
具体的には、簿記の資格、公共職業訓練の経験、英語の能力が買われました。
その時に障害の話は出ませんでした、通院の配慮が必要なこと、時短勤務をお願いし快諾していただけました。
一般雇用ですが配慮はされるんですね。
◯健常者に擬態することが早い社会復帰なのでしょうか
こうして私の社会復帰は日の目を見ました。
一安心ですが果たして健常者のふりをすることが正解なのでしょうか?
健常者に擬態することは可能ですが猛烈に疲弊します。
頭痛があれば我慢しつつ薬を飲む。
音があれば敏感に感じ体力を消耗させる。
健常者の真似はできてもそっくりにはなれないです。
やはり配慮は必要かもしれません。
ただそう言った配慮も
「されて当然」
とおごっていてはあまりいい顔はされません。
共生協働を心がけて働いていきたいですね。
コメント
コメント一覧 (2件)
おはようございます。
私も障害者枠で働いていますが、やっぱり障害者だから配慮されて当たり前、という気持ちは持ってはいけませんね。
私の場合トイレと頭痛薬を飲む程度なので、それで採用されました。
最後のB型作業所では配慮されて当たり前という人が多かったです。
押し付ければそれは配慮ではなく要請となるので意味合いが変わってきますしね。