体を壊し障害者となってからあまり季節を感じられなくなっていました。
精神疾患ということもあり心の動きがあまりないようでした。
少し回復してからデイケアという日中活動先で俳句と出会いました。
俳句は季語を主軸に5・7・5の17文字からなるもの。
季語があるということは季節によって多くの言葉があり、それを探すために散歩をするようになりました。
そうするうちに季節を再び感じられるようになり、さらにシンプルライフにも目覚めました。
今回は私がシンプルライフに目覚めた俳句の効能をご紹介。
俳句の良さや、どのようにシンプルライフに活かされるかを考えたいと思います。
限られた文字数で表現することで、そのスタイルが生活にも活かされる
俳句は17文字という非常に短いもので、そこに表現の全てを詰め込みます。
余計なものを削ぎ落とし、現したいものを現す。
ファッションや暮らしも同じことがいえます。
例えば便利グッズは便利ですが1つのことしかできません。
行動に対して物品は増えていく一方です。
そこを余計なものを削ぎ落として、汎用性のあるものでできないか考え、暮らしをスリムにします。
ファッションもそうで、あれこれ着飾ったりアクセサリーを付けるよりシンプルなもののほうがスッキリ見えますしワードローブもスッキリします。
携行品も少なくなり、必要物品も少なくなり出費も減り所持品も減ります。
多ければ豊かそうに思えますが、多ければそれだけ選択の時間やメンテナンスの時間が増え、時間という資産を失うことになります。
限られた服で自分を表現することも1つの楽しみにしてみるのもいいかもしれません。
女性誌では1週間着回しの特集をよく組まれて、私は好きでよく読んでいます。(AmazonUnlimitedで読めてしまうのです)
- ジャケットx3
- インナーx3
- パンツx3
でも3x3x3=27通りのファッションが楽しめるので1ヶ月近く毎日違う服装でいられるのです。
季節に目を向けることで旬のものに敏感になる
季節にはそれぞれその季節に合った服、食、文化などがあります。
俳句の季語はそれぞれ対応した季語があり、秋ならば、秋茄子、秋の帽子、栗拾い、焼き芋があり、生活や季節を感じることができます。
旬のものに敏感になる。
服ならば衣替え。
夏服の整理をしながら今季で役目を終える服にさよならし、来年買い換えなければいけないリストへ入れます。
秋服を用意しながら痛み具合を見てメンテナンスをしたり、見切りをつけて買い替えたりします。
私も秋服を出しながらジーンズの生地が薄くなっていたので手放すことしました。
ジーンズの数をチェックし2本なので十分と思い買わずに済みました。
食ならば季節の食べ物。
夏から徐々に食材が秋へと移り、調理方法も煮るものが増えてきます。
その時、鍋の具合や調味料をチェックし買い足さなければいけないもの、サヨナラしなければいけないものを洗い出します。
そろそろふるさと納税でもつなべを頼もうかとピッピさんと話しているので、今年は卓上コンロと土鍋を買おうと思います。
昨年はル・クルーゼの鍋で作っていたので冷えてしまっていまいちでした。
文化もまた敏感になります。
季節によって楽しみは変わり、楽しむための生活もまたスリムになります。
なぜかといえば、生活が雑多だとなかなか文化を楽しめないからです。
以前の私がそうでした。
忙しかったり病気で臥せっている時は何も楽しめませんでした。
今では生活がシンプルになった分、視線や注意を周りへ向けられるために季節の文化を楽しめます。
思考のシンプル化
俳句を作る時、見たものをそのまま俳句にします。
その時余計な雑念は振り払いシンプルに詠むようにします。
病気のせいもあって思考が濁流のように流れてきて何かを考えているのに何も考えられなくなります。
なので思考の過程や考える(選択)回数を減らし、思考をシンプルにするようにしています。
俳句を作る作業と同じです。
できごとを端的に捉え、的確な行動へ。
僅かな考える時間でもできるように訓練しました。
思考がシンプルになると行動もシンプルになります。
行動がシンプルになると生活の余計なものが減っていきます。
それは物が減ったり出費が減ったり。
減る分増えるものもあります。
時間とお金です。
自分のために考えられたり、貯めたお金で必要なものを買えたり。
シンプルは病気にも生活にも良いのです。
俳句的思考は生活にも活かされる
これまであげてきたように、俳句を通して生活の場面で俳句的思考は役に立ってきました。
俳句は作る楽しみもありますが、思考過程も楽しむことができます。
そしてその思考過程は生活にも反映されて暮らしも行動もシンプルになります。
俳句は~と思われる方も難しくないのでオススメですし、もし俳句でなくても短歌や詩でも短い文章で表現することは思考の整理にもなりいいのではないでしょうか。
デイケアではケアプログラムの一環ですが、言語表現というものは万人にとって必要なものなのですから。
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