言葉は便利な半面、容易に相手も自分も傷つけてしまう諸刃の剣です。
私も多くの人を傷つけてきましたし、傷ついてきました。
性格が悪いのかもしれませんし、障害もあるのかもしれませんし、その両方かもしれません。
少なくとも私の社会適応能力は低いということになります。
何度も人間関係を壊し、何度も傷ついた経験から今では訓練の甲斐あって少しまともになりました。
訓練はソーシャルスキルトレーニングや書籍で勉強したりです。
実際の人との交流はいつでもドキドキします。
人付き合いが決して得意ではない私の、私なりの処世術を振り返ってみたいです。
⚪聞くことを9割にする
発達障害を持っている人は喋りすぎる傾向にあるそうです。
私もとにかく脈絡もなくひたすら喋る人でした。
そして余計なことを言ってしまい人を傷つけてしまいました。
人間関係も壊れます。
ある時出会った書籍にはたしかこう書かれていました。
「会話の基本はキャッチボール、でも投げることから始まるのではなくキャッチ、つまり聞くことから始まる」
私の会話は投げる一方でした。
そこで反省をし聞くことに注力しました。
聞くことを9割、話すことを1割、その1割も質問や言い直し、相槌で構成されます。
そうすると自然と対人トラブルは激減しました。
自分から積極的に話さないからです。
もちろん意見を求められれば話もします。
ですがそれも簡潔にしできるだけ話さないようにしています。
ブログでは多少饒舌ですが、日常会話ではあまり話さないです。
⚪その時の相手の様子をよく観察する、時間をおいて発言する
私は宇宙人と呼ばれるほど空気の読めない人間でした。
今でもそれは変わっていません。
でも多少空気を読める感じにはなってきました。
ではどうしたかというと、相手の様子をよく観察し、時間をかけて言葉を選びながら話をするようにしています。
例えば、相手が何か語気荒く話しているとして、それが怒っているのか、急いでいるのか、推しについて熱く語っているのか、私には判断がつかないことがあります。
その時は、話を聞きながら注意深く会話の中から内容を精査し、時に質問をして相手の心情を推し量るようにしています。
複数人いる時も同じです。
複数の人が話しているテーマを読み取ってから話すようにしています。
私は会話は苦手ですが、文章にすれば理解できるので、頭の中で文章化し理解しようとしています。
これで不要な衝突も減りました。
⚪人とは通じ合え無いもの前提で言葉を尽くす努力をする
異言語同士が通じ合え無いのはもちろんですが、同じ母国語でも通じ合え無いことは多々あります。
文化背景、知的水準などの違いからわかり合える言葉の質や属性が代わります。
例えば私は芸能に興味がなく疎いので、
「芸能人では誰が好き?」
と聞かれてもその芸能人が浮かびません。
物理学者同士が熱力学の第一法則を共通言語としていても、言語学者とは分かり会えないかもしれません。
なので私は相手に説明する時は、出来るだけ相手の水準で、相手の属性で話すようにしています。
難しいことですが、通じ合うには必須のことだと思います。
例えば私のパートナーはお金はあるだけ使ってしまう人だったので、最低限の保険加入とNISA、iDeCo、貯金をさせるのに、例え話をしたり、福利のことをわかりやすく説明したり、老後のお金の問題をしたりとかなり労力を割きました。
私は全ての人が等しく分かり合える世界は来ないと思っています。
ですがだからこそその努力は惜しんではいけないと思います。
⚪言葉は凶器になるからそっと包んで渡すくらいがちょうどいい
私は祖父から譲り受けたナイフがあります。
鞘に収まっていれば安全ですが抜けば怪我をする危険があります。
言葉も同じだと思います。
言葉は抜身のナイフと同じです。
相手も傷つける可能性もありますし、自分も傷つく可能性もある。
だから言葉にも鞘のような包を施す必要があると思います。
体重を気にしている人に、体重のことは言わずにおくのもそうですし、髪の毛を気にしている人にはそっとしておく。
そういった気遣いだけでも人間関係はグッとよくなります。
私は多くの失敗をしてきました。
きっとこれからも失敗はすると思います。
ですが、これまで学んだこととこれから学ぶことを併せて過ごしてゆこうと思います。
コメント
コメント一覧 (2件)
おはようございます。
確かに言葉は要注意ですね。
私も十分に気を付けていますが、たまにやらかしてしまうことがあります。
仕事も上司の知的障害者への虐待を市役所に報告したことで、辞める方向に進んでいます。
今は次の仕事を探す気力がないので、月曜日相談員と相談しますが、1か月くらいゆっくり休んでA型かB型探そうと思います。
ヨシュアさん。
言葉は凶器ですからね、気をつけて扱いたいですね。