日本人の2人に1人はスマホを持っているそうです。人によっては複数持っているので管理も大変そうです。
先日SAMANSAで配信されている映画ワイヤレスを観ました。
閉店時間の携帯ショップに老人がスマホを初期化してほしいと押しかけます。店員とのやり取りからそれが誰のスマホで、なぜ初期化したいかが明らかになります。
映画を観てスマホとの向き合い方を考えさせられました。
◯スマホは人によってはつながりを求める願望器
劇中でその老人の持ち込んだスマホはある人のスマホでした。その人とのつながりが象徴されていました。
現代人にとってスマホはつながりを求める願望器と思えます。電話、メール、SNSなどが最たる例でしょう。1日に何度も使うはずです。
劇中の老人はそのスマホの中のデータを保存したい、ある人とのつながりだからです。
若い人の場合、容量の大きいスマホやクラウドへ保存しておきますが、年寄には難しいかもしれません。私も子供の写真が膨大になり、先日クラウドの容量契約を1つ上げました。今後子どもが成長するにつれて、更に上の要領へ進みそうです。
記憶=つながりの集約されたものがスマホなのでしょう。
◯バックアップできないものもある
スマホのデータを保存できたとしてもバックアップできるものとできないものがあります。それにどう見切りをつけるか、難しいかもしれません。
私はデータにはあまり興味がないので、写真や動画は定期的に削除します。子供の写真も厳選して削除するようにしています。
ですが、今のスマホはそろそろ限界なので新しいものと考えていますが持ち越せないものがあります。それは恩師からの留守番電話の音声です。
大切に保存していますが、いつかは手放さなければいけない。録音機器もないので保存もできません。
生々流転、物事は移ろうものです。自分の環境や状況の変化も受け入れたいですね。
◯スマホはお年寄りには難しい
説明書がなくても使えることを目指したiphoneですら、お年寄りには難しいです。劇中の老人も怒り出す始末。
確かにそうかも知れません。父に孫の写真や動画を見られるようにと、簡単と言われているiphoneを送りました。ですが
「めんどくさい」
と使わなくなっていました。
劇中では店員の青年が辛抱強く対応します。背景を察したからかもしれません。
以前、生活保護を受けて暮らしている頃、ヘルパーさんに料理のお手伝いをお願いしていました。そのヘルパーさんが
「スマホの使い方わかる?」
とradikoのインストールから設定などを聞かれたので、使える状態にして、使い方を教えると大変喜んでいました。使っていたのはなんとかんたんスマホと呼ばれる機種。現代のテクノロジーの限界を見ました。
◯推理劇のような展開の映画
劇中の老人は当初イライラし、店員の青年も閉店業務があり上司から閉店作業をするようにと指示があり、お互いの圧力を高めます。
スマホを通じ、老人のある人のスマホとある人とは誰なのか、なぜ初期化したいかがわかり始めると、物語の筋は見えてきます。それを先読みする楽しさがある映画です。
また、冷たいと感じがちなハイテク機器を通した泥臭い、そして温かいコミュニケーションが後半にはあります。
そして最後には時代を象徴する世代の想いが描かれています。
わずか15分の映画ですが、短編にピッタリの内容だったと思います。
改めて自分とスマホとの関係を考えてみると、最近はできるだけ使わないようにし、SNSほとんどを削除し毎回ログインを必要とするようにし、メールの通知はoffにし、電話やメッセージアプリも午前中にはならない設定にしています。できるだけ関係を断つようにしています。
大切な人とはスマホ越しではなく、実際に会って話したいです。パートナーと食事の時は傍らにスマホを置きません、パートナーは置いていますが、触ろうとすると注意します、正しいかどうか、テーブルマナーかどうかはわかりませんが、今目の前の人と会話に集中してほしいからです。
ですが、いつかは別れの時がきます。その時、何を残しておくか決めないといけません。そう考えると、自分の遺品は少ないほうが良いと思うので、所持品は今のまま少なく、死後の処理はファイルにまとめたほうが良いなと思いました。
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