生まれ故郷の友人は今は一人もいません。
生活保護となったことが知れ渡って疎遠となったからです。
関東に出てきてからの友人もほとんどは生活保護となったことによって疎遠となり、1人だけいた知人もフランスへ行ってしまい都内には友達と呼べる人はいません。
私のアドレス帳は定期的に整理するので過去親交があった人と連絡を取ることもありません。
寂しいかというと日々忙しく過ごしているので寂しさを感じることもなく、家族と過ごしています。
もともと一人でいることが多かったですし、学生時代はいじめばかりでまともな人間関係などは築けていなかったので一人です。
家族といると本当に一人でなくて良いのかなと疑問に思いますが、子どもに懐かれると一人でなくてもいいかなと思います。
◯いじめられやすいから人間関係を築くひつようはない
今までの学生経験、職場経験でいじめられなかったことはほとんど無いです。
今の職場でいじめられないことが奇跡のようです。
人間弱いものを見ると攻撃したくなるのは本能だと思います、だから子どものいじめはもちろん大人のいじめもなくなりません。
私は人間を信頼していません、自分すらも信用していません、基本的に人間は迫害や差別、いじめをしてしまうものと思い、極力人とかかわらない方向で生きています。
この生き方を決定付けたのは生活保護となった直後です。
直前の職場の社長のパワハラで心身ともに疲弊し、お局様には毎日いびられ毎日頭痛と不眠に悩まされていました。
当然倒れて動けなくなりました。
積もりに積もった人間不信が人を信じることを諦めさせてくれました。
人間に期待しなければ基本的に平穏でいられる、そんな事に気が付きました。
今でも誰にも期待していません、自分はもちろんパートナーにも子どもにも期待していません、だって本質的に他人ですから期待しても思い通りにはなりません。
自分だって思い通りにはなりません、期待するだけ無駄です。
◯アドレス帳から過去1年で連絡を取っていない人をすべて消した
何か本で連絡を取っていない人のアドレスを断舎離するという記事を見ました。
生活保護の頃、時間もあったので愚直に実行しました。
それで困ることは何一つなかったです。
1年間連絡がなかったということは今後も連絡はほぼ無いです、あるとすればネットワークビジネスのお誘いくらいです。
今でも気がついたらアドレス帳やLINEの整理をしてます。
見えないほうが心のリソースを使わずに済むので心が穏やかでいられます。
新しいものを入れるには古いものはさよならを、そうしないと心はどんどん重くなるばかり。
今後も定期的に整理します。
◯それでも結婚に踏み切った
人に期待しない、アドレス帳は整理する、これでは継続的な人間関係は築けないかもしれません。
パートナーと出会ったとき、生活保護であること、障害者であることを正直に打ち明けました。
すると、
「自分の生活費の範囲内で自活できているんだから十分じゃん、障害持ってなくても自活できていない人もいるよ」
と、あっさりと言われました。
私に期待していないのも良かったのかもしれません。
私も相手に期待していません。
結婚して今は、推し活を少し控えてほしいなと思いますが強くはいっていません。
結婚後の理想が高すぎるとお互いしんどいと思いますが、我が家はお互い低い理想なので良いかも。
◯新しい人間関係、それでも私は期待しない
東京の下町に引っ越して、4年ほどが経とうとしています。
ご近所さんとも顔見知りになったり、よく行く八百屋さんや魚屋さんは顔なじみになったり、再び再開した生け花のお稽古では新しい先生に習ったり、人間関係は広がりました。
でも私は何かを期待することはしていません。
弱みを見せると攻撃されるかもしれないという恐れもあるかもしれませんし、人に頼ることが苦手というのもあります。
よく「優しい」「穏やか」と言われますが、人に期待していないから怒ることもないですし、何かをしてほしくてやきもきもしません。
人は関係性の中で多くの仮面を身につけるそうです。
ある人にこの仮面、この人にはこの仮面、いくつもの仮面を持つことは果たして幸福でしょうか?
私は私でいたいので私という仮面をできるだけ少なく、使い分けることもないようにしたいです。
障害を持っている私には複数の仮面を使い分けることは難しいです。
社交辞令も言えませんし、空気を読むことも苦手、それならば自分という仮面一つで受け入れられる世界で生きていたほうが幸せかもしれません。

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