私にとって生活保護経験はあらゆる価値観を転倒させました。
仕事、お金、健康、暮らし、人間関係など。
変わったことの一つに、生活保護以前は自分が
「無能ではない、有能でいたい」
「私は障害者ではない」
という想いが強かったですが、自分の無能さも引き受け、障害も認めて生きやすくなりました。
そして何より人を頼れるようになりました。
自分の考えが変わると状況は一変、生きやすくなり、それまで課題だった人間関係も改善されました。
生きていくのにプライドは必要ないと今では思っています。それも生活保護を経験したから。
今回は生きていく方法について考えたいと思います。強がる必要はない、ネガティブに考えてもいいし、プライドもいらない、そんな方法です。
◯自分の弱みは変えられない、だからそれを受け入れて自認する
障害や借金、できないことや美醜など、あらゆることが現代人の私達を苦しめます。
ですがそれらはそうそうに変えられない事実です。
借金に関しては返済すればいいかもしれませんし、最悪自己破産もありますが、人生において傷になるので、苦しむ原因となります。
そういった弱みは隠しておきたいと思います。
しかし隠すと苦しくなる、それを強がって克服しようとしてしまいます。
私も生活保護以前は、障害を認められず、借金を隠し、できないことをできると言い、無能さをさもできる人風に見せ、見た目の悪さをブランド物で塗り固めていました。
それも体調を崩し医師から生活保護を受けて療養生活をするようにと告げられ、受給開始となってから状況は一変しました。
生活保護ともなれば、障害者手帳や障害年金の申請をしなければならず、いやでも障害を認識せざる終えません。
また借金も生活保護となると返済に当てられないので自己破産となりました。
ブランド物を買う余裕はありません。
自分の心を守っていたなにかが壊れました、プライドですね。
しかしプライドが壊れても死にはしません。
むしろプライドがなければ、生活保護は受給できますし、障害年金も受給できる、各種支援が受けられる、いい事ずくめでした。
◯できないことはできないと言える
生活保護以前は、できないことも
「できます」
と言っていました。
とても大変な思いをして成し遂げていました。
しかし生活保護以後はできないことはできないといいます。
体調管理は苦手、時間管理は苦手、マルチタスクは苦手、それを開示した上で対処法を考えます。その対処法も開示します。
その対処法が果たして合っているか、それを第三者の目を通して見てもらいます。
これをできると言ってしまうと際限のない努力をすることになり辛いです。
少しでも生きやすくなるために、できんないことはハッキリ
「できません!」
と伝えたほうが、お互いに疲弊せずに済みます。
◯教えてもらう時は丁寧にお礼を述べる
教えていただいた時は丁寧にお礼を述べます。頭を下げればさらにいいでしょう。頭を下げることは0円ですが得られる情報や知識は数千、数万するものですから。
プライドを大切にしたとして、ご飯は食べられません。私はそのことを生活保護経験で学びました。頭を下げてご飯を食べられれば儲けものです。
それに教えてもらうことは悪いことではないです。以前住んでいた地域は古い地域でご近所の方がご高齢の方が多かったので、包丁の研ぎ方や煮物やおかずの作り方、キッチンの豆情報など色々教えていただきました。そして頂き物もしました。(生活保護の場合は受け取ったものは役場へ申告します)
教えを請う時に、身を高くしていると教えられにくいと思います。私はとにかく身を低くしていました。今でも身を低くして生きています。
◯身を低くして頭を垂れることは処世術かもしれない
若い頃の私は高慢で嫌な人でした。人に謝罪や頭を下げることができませんでした。
生活保護の時に受けたSSTと生活を通しての経験が自然と謝罪や頭を下げることを覚えることになりました。
今、夫婦生活や、税理士事務所の仕事や、自宅の仕事で謝罪や頭を下げることは多いです。できないことが多いことや初めてのことが多いこと、それがあるので必然的に謝罪や頭を下げることが多いです。
それで何かトラブルになったかと言うと、トラブルになっていません。
振り返ると、謝罪や頭を下げることは人生をうまくゆかせる処世術のようなものではないかと思います。だって政治家などの様子を見ても謝罪ができないことは不自由だなと思います。
生きていく上で大切なことは、お金の教育、そして感謝と謝罪、これがあれば何とかわたっていけるのではないかと思います。
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