昨年末、久しぶりに生花をしました。
私は以前、小原流生花を習っていました。
それから十数年、ようやく暮らしが落ち着きお金にも余裕が出てきたので再び習うことにしました。
生花との出会いは以前の職場、飾られた花を見てからです。
それから数年習い遠ざかっていました。
花を生けることは人を知ることに通じると感じます。
花という素材で人の喜怒哀楽や人体を表現すると思います。
花は花というだけでなく表現素材の1つだと思います。
◯花を生けること人を知ることにつながる
太陽の眩しさに手をあげて影を作る女性の仕草が美しい時があります。
それを絵や写真ならば写実的に表現できますし、解釈を変えてピクトグラムや抽象画にもできます。
生花もまたそのような人体表現ができます。
太陽にかざした手を枝と花で表現し、人の表情を根本の草花で現します。
私が初めて生花を見た時、女性を思わせる作品に感動しました。
人を表現しようと生けていると人を見る機会も増えます。
私の病気は時に人に興味を失ってしまいます。
この世界は私以外の人も住まう世界、それを思い出させてくれる生花は貴重な経験となります。
◯所作を美しくする
花に向かい合う時、背筋が伸び、気持ちはピンと張られた糸のように緊張します。
そうしていける姿は他の人の生ける姿を見ても美しいです。
現代人はストレートネックや反り腰、猫背など姿勢の問題を多く抱えています。
生花をすると改善するわけではないですが、一時的に立ち振る舞いが美しくなります。
心もなんとなくピンとします。
気持ちが真っ直ぐになると、気分は上向きになります。
ネガティヴがちな私の心も心なしかポジティブになります。
◯季節を感じられる
以前は季節を感じることなく過ごしていました。
生花と出会ってから季節の花々と出会い、季節を満喫してきました。
そしてここ数年病の床に伏せってからは季節を感じにくくなっていました。
久しぶり生けた花はお正月の花でした。
基本的に生花は季節を先取りして生けます。
お正月の花を生けていると、
「クリスマス近かった」
「お正月飾り出さないと」
「おせち作ろう」
という気持ちになります。
生花は季節を先取りして生けます。
春は芽吹いた花を生け、夏には濃い緑を生け、秋には秋の花や紅葉を生け、冬には冬の枝花を生ける。
感じる季節を先取りすると季節の準備もできます。
「そろそろ夏物の準備をしなきゃ」
「梅を漬ける季節が近いな」
「銀杏拾いに行こうかな」
「寒くなるから保湿クリーム買おう」
そんな感じに季節と向き合う時、自分の感性がピンと張ります。
自分の感性に水をやり育てる感じです。
◯生花は生活を彩る
花がある生活は華があります。
空気がどことなく緩み華やぎ心も軽くなります。
そして花と向き合うと優しさを持てるようになります。
なぜかといえば、草木は弱いもの、丁寧に扱い優しさを抱きます。
人間関係でもしなやかさ、優しさ、気遣いなど様々な心遣いが必要です。
私はともすればそう言った心遣いを忘れてしまうので、そう言った心遣いを忘れないためにも生花は必要です。
また生花をしていると自然の草花にも目をやる機会ができます。
今住んでいるマンションは草木があり手入れされているので四季を通じて緑と花があります。
自然の草花を見る時、自然の美しさを感じます。
都心に住んでいると自然と触れ合う機会は少なくなります。
積極的に自然と関わろうとできる、生花のおかげと感じています。
生花は次の段階では人に教えられるようになり、その先は長い自己研鑽の道です。
どこまでやるか、目標は決めていませんが、長く楽しめて自分を癒せればいいと思います。
そして病の私にとってはこれが一種の作業療法のような働きをしていると気が付きました。
回復のためにも必要そうですね。
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