現実に適応できず病気になることはありますし、健康な人でも疲れ果ててしまいます。
それでも適応しようとして頑張ってしまう。
でも適応できずミスも連発、さらに疲れて事態は悪化。
ついには休み方を忘れて動き回って潰れる。
以前の私もそうでした。
なぜあんなにも適応することに努力を重ねていたのかと思います。
今では適応できる状況を選び、適応する努力を最小として過ごしています。
書籍から知識を得て自分なりにアレンジした結果そうなりました。
私の体験で恐縮ですが、精神疾患である私の書籍ベースの処世術を書きたいと思います。
休み方にフォーカスを当てて考えていきます。
休むことは怠けているわけではない
適応できないと休むことを返上してでも適応しようとします。
休みがあっても
怠けてはいけない!
と思ってしまい、休もうとしません。
ですが、例えば1日休んだとして事態は劇的に好転するでしょうか。
物事というのは積み重なって大きな事になっています。
テコの原理を思い出してほしいのですが、
100kgの岩を人力一度に動かすには大変な力を要しできない場合もあります
ですが、
100kgの岩をテコの原理で動かせばわずかな力で動かせます
小さな力を積み重ねればいずれ大きな力になります。
大きな物事に取り組む時、小さな力でもできますがテコの原理で少しずつ動かすには時間が必要です。
継続した力を物事に加えるためには時に休息も必要です。
それに真面目に適応しようとする人がサボろうという考えには至りにくいものです。
怠けているわけではないので大手を振って休んでいいのです。
私も休むことはサボることと思い休めませんでした。
ですが、末期がんの方と話した時
長い人生1日休んでもそんなに時間は変わらんよ
という話を聞き、考えを改めました。
適応するために、大きなことをするために休むんです。
休むって寝るだけでなくてもいい
疲れというのは身体的な疲れ以外にも精神的疲れがあります。
両方が癒えなくては心身の健康は維持されません。
WHOの憲章にこうあります。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
世界保健機関憲章前文
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
肉体的、精神的にも充実し、社会的にも満たされなければ健康とは言えないのです。
適応障害までになった、もしくはそれ直前まで追い詰められうつ状態ならば精神的にも疲弊しています。
精神も回復させなければいけないのです。
精神の回復ってどうやるの?
精神の回復のキーワードはWHO憲章にある「社会的」です。
社会とはなんでしょうか。
人間が構成するこの世界です。
それを楽しむことです。
なんの事はないです。
友達と遊んだり食事したり飲みに行く、それだけです。
もちろん一人が好きな人なら映画やアニメ、漫画や本などを楽しむのもいいでしょう。
精神の回復には
「親しい人との関わり」「趣味」は必須!
です。
私も倒れた当初は趣味も何もできなくなっていました。
徐々に人と関わり趣味ができるようになったのは最近のこと。
私の場合はデイケアのお陰も大きいです。
でも休めない!人へ
仕事で忙しかったり、学校が忙しかったり、家事が忙しかったり。
休むことが難しい人もいると思います。
私がおすすめするのは、思い切って休んで見ることをオススメします。
ハードルが高いかもしれませんが、精神科や心療内科へ行き診断書をもらって強制的に休みにするのもいいです。
それでも休ませてくれないなら、仕事なら労働基準監督署、学校なら教育委員会など、家庭なら実家やホテル、それくらいしてもいいように思います。
私も仕事を休ませてもらえず苦しい思いをしました。
そこで労働基準監督署へ相談し、休むことができるようになりましたし、結果退職時には傷病手当も受給できるようになりました。
人は追い込まれると二項対立ぎみに思考が傾きます。
ですが、それを排し逃げていいのです。
逃げるべき事態もあります。
物事には人がつきものです。
とどのつまりに問題は人間関係に集約されます。
なので悪い人間関係から離れて良い人間関係へ向かったほうがいい場合もあります。
人間関係をシンプルにすることこそ、適度に休むもっとも良い方策かもしれませんね。
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