これはあの人のせい!
失敗したのはあいつのせいだ!
全部あいつが悪い!
以前の私は失敗の原因を誰かや社会のせいにしていました。
それで何か変化があったかというと、人間関係が悪くなるだけでした。
発達障害特有の認知の歪みというものでしょうか。
私は倒れてからそんな生き方に別れを告げるべく、多くの書籍を読み訓練し考え方と行動を変えました。
そうすると不思議と人間関係のトラブルは減っていき、今ではほとんどないです。
今回は私が実践している他責にしない発達障害の方にも健康な方にもおすすめしたい人間関係術を紹介しながら、どう生きることが良好な人間関係を築くことができるのか考えていきます。
他人からの指摘は害意があるのか、アドバイスなのか
人から指摘を受けた時、それが害意あるものに感じられたり、アドバイスに感じられたりします。
この「感じられる」という部分が厄介で、観測者が自分なので自分の受け取り方、気分、相手によって同じ内容でも大きく変化します。
がんばってるね!
という声がけ一つでも、近しい人なら応援にも聞こえますし、全然関係ない人なら社交辞令かと思うし、敵視している人なら蔑まれたと感じます。
なぜこういうことが起こるかというと人間は環境の影響を受けて変化する生き物で、それは精神面でも多分に影響があるのです。
でも敵視している人からの「がんばっているね!」は気分の良くないモノ。
それってどうしてそう思うのでしょうか?
敵視するには理由があります。
それの謝罪が先だと思いますよね。
でも待ってください。
それは相手の問題でこちらの問題ではないです。
敵視しているとはいえ、謝罪を期待しているんです。
この「期待」が大きく人間関係に影響を及ぼします。
期待の功罪
期待されているから嬉しい。
期待されないと悲しい。
これは承認欲求から自我が肥大化した結果、自分の期待を満たされないと我慢できなくなっているといえます。
その端的な例がSNSです。
いいねがつくことで承認欲求が安易に満たされるので人間はSNSから離れることができなくなります。
アメリカの調査ではSNSをしている子供を調べたところSNSの評価が気になり自尊心を下げているという結果があります。
期待よりも大きな結果は自尊心を向上させ、期待よりも小さければ自尊心を下げる。
でもそれでは永遠に人の顔色を伺って生きることになります。
期待することをやめろとはいいませんが、過度に期待はしないほうが人間関係はうまくいきます。
期待しない人間関係とは
期待しないとはどういう状態でしょうか?
冷徹な人間と思うかもしれませんがそうでもないです。
期待値を0にすることでもともと相手に何も求めない態度になります。
なので、なにかポジティブなことをされたらラッキーですし、ネガティブなことをされたらふーんです。
それは自分に対しても同じです。
出来ると思ってすることは大事かもしれませんが、できないと落胆します。
ならば出来るともできないとも期待せず淡々とこなすだけでいいのです。
できれば嬉しいし、できなければ改善点を見つけるだけです。
私はこの態度で生きるようになってから人間関係がうまくいくようになりました。
期待もしなければ見返りも求めないので、あいさつしても返ってこなくてもどうでもいいことですし、お願いしたことがされていなくてもどうでもいいことです。
私が私のことを遂行できればいいですし、不測の事態は私が動けばいいだけの話です。
期待を相手に押し付けたとして相手も期待応える必要性が出てきて迷惑でしょうし、逆でも私は迷惑です。
期待もしないので他責もしないですし、全て自分の責任でする。
それだけで十分だと思います。
そもそも人に頼る前提では相手に何かあった時に行き詰まるので方法としては最悪ではないでしょうか?
冷徹な個人主義を推奨するわけではなく、お互いに期待するのは辞めましょうと言いたいです。
いわゆる毒親というのも過度の期待の産物ですし、その逆に子供が親に過度の期待をするのもどうなんでしょう。
人間は死ぬまで未熟な生き物です。
その未熟さを内包した生き物という前提で付き合っていけば、過度な期待は有害ですし、成長するまで見守ることもできますし、自分にも優しくなれると思います。
あなたが苦しいのは期待しているからかもしれませんね。
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