先日、改めて発達障害の検査を受けて主治医からお話を聞きました。
「覚悟はええじゃろか?」
「はい(ドキドキ)」
「薄々わかっちょるとは思うが、ワシが以前言ったようにはやり発達障害じゃった、それも重めじゃ、診断がついたからと言って治療法もないんから今まで通りの薬の治療法じゃがの」
「そうでしたか~」
「今、とても困っているわけではないんから、無理せず穏やかに暮らしていけばええんじゃ」
今の主治医から、発達障害の要素は多分にあるとは聞いていたのでやはりとは思っていました。
私としては発達障害が確定したとしても、税理士事務所の仕事ができなくなるわけではないですし、動画編集のスキルを忘れてしまうわけではないですし、パートナーとの結婚がなくなるわけでもなく、子どもが産まれなかったことになるわけではないので、全く問題なしです。
今は逆に障害を笑いに変え楽しんで暮らしています。
これには今まで支えてくださった多くの方のおかげと、パートナーのおかげでもあります。
⚪以前は障害に押しつぶされそうでした
私は5年前の時、主治医から障害の話を聞いた時、未来が見えず不安で押し潰されそうでした。
不安とは心理学の本で「対象がわからないことからくる感情」とありました。
まさにそうで、将来のことは不安定だけど、一体何が私を不安にさせるかわかりませんでした。
毎日襲われる頭痛が終わりのない苦痛に思えて暗澹なる気持ちになりました。
それに障害は良くなることもなく一生続くもの。
私はどうしていいか分からず、ただただ無為に寝る毎日でした。
⚪転機は突然に
転機は突然でした。
精神科の主治医の対応で徐々に頭痛が改善されたのと、紹介された頭痛外来で頭痛がさらに改善されたことで、毎朝起きることがつらくなくなりました。
頭痛の痛みで起きて、トイレで戻して寝る生活は終わり、それまでできなかったことが出来るようになりました。
図書館で沢山本を読むこともできました、図書館は役場に併設されたまに食べる社食のような食事は非常に美味しく贔屓にしていました。
お陰で1日じゅう図書館にこもることができました。
そして早く働きたいと思った私はその旨のを主治医に伝えると
「まずデイケアからにしましょう」
デイケアというところを知らずなんだろうと思っていると、活動プログラムをする場所らしいです。
そこで私は自分の好きな活動プログラムをすることになるのですが、そこで習ったソーシャルスキルトレーニングは今でも役立っています。
何より驚いたことは私は無意識で習うこと全部をできていたことです。
比較はいけませんが、できない方もいらして、それぞれの回復過程があるのだなと感じました。
断捨離をしミニマリストになりシンプルライフにも目覚めました。
断捨離をした過程などは別記事で。
⚪笑い合える人と出会えた
障害を笑えるようになったのはヘルパーさんのおかげです。
いつも温かい声がけがどれだけ助けられたか。
「もーうっかりでも笑っちゃう!」
本当に笑われて自分が障害者ということを忘れる瞬間でした。
主治医も同じくです。
障害についての話をせず人としてどう振る舞うか、どう捉えるかを教えられました。
そしてお互いアニメオタクということもあり、診察時間の大半を新作アニメの話で終止することもありました。
何より大きかったのはパートナーとの出会いです。
障害を明かしても怯みもせず受け止めてくれました。
私はいつしか自分の障害をネタに笑うようになっていました。
何か聞こえるような気がする時は
「今電波受信してるから、感度良いよー!」
といったり。
うっかりミスもパートナーが笑うのでつられて笑うようになりました。
一緒に対策を考えてくれるのも強いです。
⚪確かに私は障害を持っているけど、障害が私ではない
障害はもっていますが、それは私のごく一部と思っています。
障害の一部が私ではないです。
時に苦しみますがそれでも笑えるなら大丈夫でしょうね。
私自身、障害と共に生きることを大きく言えば決意、小さく言えば諦めているのです。
人生80年100年時代、ちょうど折り返しの時期、まだまだ生きていきますし、働いてもいきます。
ゆるやかに過ごしながら、歳を取りたいですね。
コメント
コメント一覧 (2件)
こんばんは。
もしかしたら私も発達障害かもしれません。
でも発達障害って誰にでもあるのかもしれません。
それによって生活に支障が出るワケではないですし。
頑張らなきゃいけないですね。
障害のせいにして困難から逃げていては、先が見えてますし。
ヨシュアさん。
障害はその人そのものではないので、全人的に考えて
自身がどう生きるかが大事ですね。