障害者となってから続けていることで、感謝を口にしています。
「ありがとうございます」
もそうですし、出来事に対しては
「ありがとうございます、愛しています」
と口にしています。
仕事でトラブル、父親のがん、自身の体調悪化など良くないことが重なった時、何かの本で
「ありがとうございます、その後ろに愛していますをつけてみて」
とあり、スピリチュアルを信じていませんが意識して感謝をするようにしました。
愛していますは心の中で付け加えています。
今回は感謝の効能について考えてみたいです。
◯「ありがとうございます」は余計な一言にならない
私は障害故か、性格ゆえか一言多く、それがトラブルの元となることもあります。
それが「ありがとうございます」を付け加えてもトラブルにはなりません。
逆に感謝されることもあります。
私はとにかく「ありがとうございます」を付けます。
お店での下膳やレジ、何か行為をしてもらった時、メールの返信があった時、隙あらば「ありがとうございます」を付けます。
私もそうなのですが「ありがとうございます」を言われれば良い気分になります。
「ありがとうございます」は付けておけば無難ですし、処世術的にも必須と思います。
わずか数文字で人間関係が円滑になるのなら「ありがとうございます」はお得です。
◯でもプライドの高さから言えない場合もある
私は今のように何でも「ありがとうございます」と付けられるようになる以前は、プライドの高さから言えない時期がありました。
それが倒れて以来生活保護となり療養生活となった時、多くの方に支えられた経験が私を変えました。
本当にありがたくてなんでも
「ありがとうございます!」
と口にしていました。
私にとって生活保護はプライドを捨てるいい機会だったようです。
それ以来私にはプライドはあまりないです。
私のエベレストまで伸びた鼻を生活保護がへし折ってくれたようです。
生活保護受給前後と衝撃的なことばかりでしたが、今となってはいい思い出です。
◯人間関係のトラブルがなくなった
生活保護を経てプライドがなくなり、感謝の言葉「ありがとうございます」を言うようになってから、それまであった対人関係のトラブルがなくなりました。
0です。
嘘のような感じですが本当です。
結果的に人間関係が良くなりパートナーと出会うことができ結婚できました。
それまでの私は人間関係でトラブルを起こしてばかり。
絶縁になった関係も多々あります。
それはおそらくプライドの高さから鼻持ちならないヤツだったかもしれませんし、感謝もできないやつだったかもしれません。
◯障害者になったことは悪い出来事だけど、良い面もあった
障害者となった時、
「もうダメだ、この先どういきていけば良いんだろう・・・」
主治医から今後良くなることはなく良い状態を維持していく生活と聞いて
「もう前のように色々活動したり楽しんだりできない・・・」
と思いました。
誰かに支えられなければ生きてはいけないことを考えると、当時プライドがまだ高かった私は
「こんな屈辱耐えられない」
痛む頭を我慢しながら毎日暮らしていました。
ふと何かのキッカケで今の主治医が親身に回復の手助けをしてくださっているのを目の当たりにして、
「なんてありがたいんだ、人を頼ってでも回復して良いんじゃないのかな」
そこから訪問看護さん、ヘルパーさん、デイケアを利用し、回復していきました。
周りの方に支えられながらいつしかプライドは消え去り、関わってくださる方に感謝をしていくうちに私は丸くなっていきました。
障害があって、それを受け入れて、感謝に目覚め回復しました。
◯今後も感謝は続く
今後も多くの人に支えられて生きていきます。
パートナー、子どももそうですし、知人、訪問看護さん、役場の支援課の方、主治医、就労支援の方、職場の同僚と上司、多くの方に支えられます。
私はなにかのたびに
「ありがとうございます」
というと思います。
それで失われるものもなく、逆に得るものがあると思います。
私は何度となく感謝をするのでしょう。
その御蔭で相手も私も幸せになると思います。
できれば今受けている恩を返していきたいですが、それは私が健康で穏やかにいることです。
そのためには今後もプライドは必要ないです。
プライドは今後も封印して感謝に生きようと思います。
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