生活保護を経てモノが思うように買えない経験をしたおかげで、持たない暮らしを実践できています。
服、仕事道具、本など、身の回りのものはとても少なくなりました。
モノの所持数を少なくするとお金も時間も増えます。
なぜかと言えば、モノの選択する時間とお金、メンテナンスする時間とお金が極端に減るからです。
この暮らし方に気がつけたのはジョシュア・ベッカー著「より少ない生き方 ものを手放し豊かになる」に出会ったからです。
モノが多かった頃の私はモノのために多くの時間とお金を使っていた
モノが多かった頃、クリーニング代だけでも結構な額になっていました。
服をクリーニング店へ運ぶのも一苦労。
更に収納のために収納の衣装ケースや収納グッズを買って更にモノが増えました。
悪循環でした。
そうした中、私は倒れてしまいました。
モノが散乱する中、寝続ける日々。
見渡せば衣類、本、ゴミなどひどい有様。
これでは回復するにも難しい環境でした。
片付をすることで好転しだす人生
ある日、自分の部屋に嫌気が差し思い切って片付けを始めました。
片付けはじめ床が見え始めたあたりから生活が徐々に変わりました。
昼夜逆転していた生活が朝早くに起き部屋の空気を入れ替えて朝を過ごすようになりました。
何がきっかけなのかわかりませんが、気がつくと私は朝型人間でした。
朝の静謐な空気の中、好きだった読書を再びするようになり病気も少しずつ回復していきました。
そして1日の時間を多く持てるようになった頃には激しい頭痛も少し治まりデイケアなどの活動へ行けるようになりました。
何かがきっかけとするなら、部屋を片付けることで部屋と私に溜まっていた何かを取り除いて人生が回り始めたのかもしれません。
それが風水という名前かもしれませんし、ミニマリストやシンプリストなのかもしれませんが、片付ける、モノを少なくする経験は私の中で気持ちの良い物になりました。
モノを少なくすることで選択する機会が激減し頭痛も和らいでいった
出かける時、それまでは服や靴を選ぶのに時間をかけていました。
それだけでもヘトヘトです。
モノを片付けてからは、例えば靴はそのシーズンの靴は1足なので迷わなくなりすぐに外出できるようになりました。
服も春秋だったらジャケットにTシャツと迷わなくなりました。
その頃頭痛もぐっと少なくなっていました。
もしかすると私は選択することで頭を使い疲れ果てていたのかもしれません。
そう気がつくとモノを減らすスピードも徐々に上がっていきました。
モノを減らすということはモノのことを考えたり選択したりする機会が減る効果があります。
私は病気で過剰に脳が働きすぎていたので脳を休ませるいい機会だったのかもしれません。
今は脳を働かせすぎないように暮らしているので頭痛も少なくなりましたが、仕事で忙しく考えることが多いと頭痛が起こるので、当時は相当考えることでいっぱいだったのだと思います。
モノを減らしたら欲しかったものが逆に手に入った
モノを減らした生活は何も不便はなかったです。
なぜあんなに買い物をしたのだろうと疑問にも思いました。
でも服などの修繕で使う裁縫道具や、DIYの工具など欲しい物もあります。
ですが生活保護の暮らしでなかなか手に入りませんでした。
ある日早朝ゴミ出しをしようと集積所へ行くと小ぶりのスーツケースをゴミに出す人が。
どうされたのか聞くと亡くなった方の遺品を出すのだとか。
遺品がなんと裁縫道具やDIYの道具。
物怖じしながらいただけないか聞くと、使う人がいたらよろこぶだろうといただけることに。
こうして私は欲しかったものをいただくことができました。
早起きしていなかったら出会えなかったですし、部屋が乱雑だったらモノも置けませんし、それに人と話すことが自然にできるまでに回復していなければいただくことはできませんでした。
すべての出会いに感謝としか言いようがないです。
現在は結婚し裁縫道具とDIYの道具は大事に取ってあります。
裁縫道具はなにかと活躍し服の修繕や縫い物をしています。
DIYの道具は引っ越し当初に部屋のセッティングで大活躍でした。
今後も使うものです。
亡くなられた方へ感謝しつつ使わせていただきます。
モノが少ないとシンプルな生活を生み出す
モノの所持数が少ないと生活はシンプルに傾いていきます。
それは思考法がシンプルに傾いていくからだと思います。
例えば通勤経路。
通勤途中のスーパーなどで買うものをピックアップし無駄なく買い物をして、時間もお金も消費せず自宅へ帰ってくることもシンプルライフではないでしょうか。
そして日々利用するお店も厳選し、日用品も例えば洗剤はほぼ固定してしまうのもまたシンプルライフ。
日常生活の中の選択機会を減らしてあげること、行動を減らしてあげることで、お金と時間、あと体力の浪費を防げます。
私のような障害者にとって、少ないお金と体力を消耗するのは非常に致命的なこともあります。
そして唯一の時間資産を失うことももったいないです。
私は今後もシンプルに暮らし、シンプルに考え、シンプルに生きます。
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