自分でも奇跡と思っているのですが
4年前に倒れて寝たきりの生活だったのに、今では元気に働いて家事もしている
嘘みたいな本当のことで、4年前激しい頭痛で寝床から起きることもできなかったのに。
でもそれは私が一人でがんばってきたのではなく、多くの人に支えられてがんばれたから今があります。
そして今、会う人会う人に
感謝をいうようになったね!
と言われるようになりました。
私は意識していませんが気にしてみると感謝を伝えていました。
以前は感謝は言えない人間だったのに・・・
なぜこんなに変わったのか考えたいと思います。
病気の時は自分のことしか考えられない
病気の苦しみは個人的な経験です。
そして主観的な苦しみはどう他人へ訴えようと客観的な視点でしか見えず完全に理解されることは難しいです。
特に精神疾患、発達障害の苦しみはパッと見健常者と変わらないとの
健康そうじゃん
苦しいってどこか?
と言われてしまいます。
そう言われてしまうと
気のせいなのかな?でもこの辛さは何?
といつまで経っても苦しいです。
そして理解されないことに怒り諦め疲れ果てて内にこもります。
精神疾患、発達障害の方が自宅へこもるのもこういった原因があるのではないでしょうか。
はじめの理解者~主治医~
苦しんでいる時、病院へ行くのもやっとでした。
今の主治医と出会ったのは精神的にも疲弊し、多くの薬を処方され立ちくらみから何度も倒れていた頃でした。
主治医は出会ってカルテに目を通して叫びました。
こんなに薬飲んどるんか!どげんせんといかん!今日はこれだけにして次回時間取って診察せんといけませんな!
早々に帰されました。
次は1時間かけて診察をした最後に
薬がよーけい出されとるけん、薬を整理せんとあかん。効いとる薬とそうでない薬、足りなければ足して必要ないものは止める。時間はかかるが必要なことじゃけん、毎週の体調の変化や薬の飲み心地をレポートでだしてや~
こんなにいろいろ考えてくれる先生は初めてだったので信頼して全ておまかせしました。
処方箋が出会った当初は3枚だったのが2枚、そして1枚になり、飲む薬の量も1/3となり、今まで診断名がつかなかった状態から診断名がつき主要な薬もみつかり快方へ向かいました。
今でも方言混じりで
仕事のしすぎちゃいますかね!いかんとですよ!絶対に無理しちゃ!
怒られながら、冗談を言いつつ診察を受けています。
そして私の中に感謝の念が湧いて、いつも診察終わりに
ありがとうございます。先生も無理しちゃだめですよ~
ワシはええんじゃ!働かんと嫁さんが怖くて・・・
みたいな話をしています。
寄り添われて~訪問看護さん~
急激に体調を崩した時、役場でなにか支援はないかと相談すると
訪問看護さん
ヘルパーさん
が利用できると教えてもらいました。
ヘルパーさんは調査などがあり入るまでに1~2ヶ月かかるそうで、割りと緊急だったので早くに入っていただける訪問看護さんをお願いしました。
訪問看護さんは2人来ていて健康状態や日頃のことなどを話していました。
たまたまかも知れませんが私のところに来ていた方々はジェンダーの方で貴重な経験を聞かせていただけました。
私踊り子もしてるの!見て!
踊り始める訪看さん。
唖然とする私。
踊り終えると良い顔して
今プロダンサーの駆け出しなの!
濃い人だ!
他にも
で、ピッピさんとはどうなのよ!
来月ディズニーランド行く予定です~
え!いいじゃない!チケット取れたの?
実は今日発売日で取れてなくて・・・
だめじゃない!いますぐ取らなきゃ!
応援されて無事にチケット取れてみんなで笑いました。
それ以外にも会話中飲んでいる水の量が多かったので、足のむくみを見てくださり、病院と連携して薬の調整をしてくださったり。
あと恥ずかしい話ですがおねしょをした話をすると生活状況や薬から原因を特定して解決したりとすごく助けられました。
なにより助けられたのが孤立しがちな療養生活の中、毎週話せることは楽しみでもあり喜びでもありました。
途中からピッピさんのことを喜んでくださりアドバイスや応援されました。
来てくれるだけでも嬉しくて自然と感謝を言うようになっていました。
今日もありがとうございます!
こちらこそ、ピッピさんの話でお腹いっぱいよ!
今は新しい住まいで新しい訪問看護さんに支えられながら暮らしています。
第二の母たち~ヘルパーさん~
訪問看護さんに遅れてヘルパーさんも大変お世話になりました。
私は母とは疎遠になっており母の味を習いそこねています。
料理ができないほど体調を崩し訪問看護さんの次に私の生活を支えてくださったのはヘルパーさんたちでした。
料理の援助だけでしたが、はじめのうちは料理だけを作っていただいていましたが、回復するにつれ
料理を教えてあげるから!
と様々な料理を教えてもらいました。
料理だけでなく家事全般も教えてもらい、収納術、掃除、片付など今の家事の基礎をほとんど教えてもらいました。
結婚することが決まったことを話すと
嫁に出しても恥ずかしくないように仕込んであげる!
と更に追い打ちをかけられて終盤はヘルパーさんと2人でキッチンに立つことが多かったです。
今となってはいい思い出です。
ヘルパーさんにもはじめの内は挨拶もままなりませんでしたが、徐々に感謝を言えるようになり
今日もありがとうございました!
はい!作ったものは一度に食べないでね、ピッピさんと食べて!
と忠告を受けることも。
私にとってヘルパーさんたちは第二の母です。
感謝を感じて伝えるようになって変わったこと
感謝を感じると人に対して悪い気持ちが起こらなくなりました。
どんな時もです。
ちょっとした気遣いも感謝しありがたいと思うようになると、自然と自分も人に優しくなれ、人間関係は改善していきました。
その最たるものが実家との関係改善です。
絶縁状態だった私と実家は頻繁に連絡し合うほどになりました。
これも支えてくださった方々のおかげです。
そして感謝を伝えるようになると、自分も感謝を受け取れるようになりました。
私は悪い人なんだ、死んだほうがいいんだ
という罪業感は消え、自己肯定感が上がっていきました。
精神疾患特有の希死念慮はほとんど感じられなくなったのも感謝を感じ伝え始めるようになってからです。
私を支えてくださった方は他にもデイケアのスタッフの方、ケアマネさん、役場の方、地域の方など多くいます。
私が今感謝のうちに暮らせていられるのは生活保護の時に出会った人たちのおかげです。
本当に感謝します。
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